ちびまる子ちゃん
サイズ:240ml
素材:陶磁器
※モニターの発色の具合によって実際のものと色が異なる場合があります。
マルゲリータは、イタリア語でフランスギクまたはヒナギクのこと。本来は印欧語由来で真珠をさす言葉だった(現在はPerlaを使う)。
また、女性名に使われるが、これは聖女アンティオキアのマルガリタに由来する。
聖マルガリタまたはアンティオキアのマルガリタ(? - 304年)は、正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会で聖人。乙女殉教者。
西方教会での記念日は7月20日。正教会では7月17日が記憶日であり、聖大致命女マリナと呼ばれる。
マルガリタは伝説上の人物であり、歴史上実在したかどうかは非常に疑わしい。
494年には教皇ゲラシウス1世がマルガリタに対する信心が正統なものでないと宣言したが、その信心は衰えず、十字軍の時代に再びマルガリタへの信心が盛んになった。彼女はその伝記を書いたものや読むもの、あるいはそのとりなしを願うものに強力な免償を与えると信じられ、そのことがいっそう彼女への信心を盛んにした。
オリブリウスという名の地方高官からキリスト教信仰の放棄とひきかえに結婚を申し込まれた。
しかし彼女がこれを拒んだことから捕らえられ、拷問を受けることになったが、そこで多くの奇跡が起こった。
たとえばドラゴンの姿をした悪魔に飲み込まれたとき、彼女が持っていた十字架によってドラゴンの体内が傷つき、無事に出てくることができた。
この「苦難を乗り越えて胎内から出てきた」という伝説により、民衆信仰では妊婦・出産の守護聖人として信仰されている。マルガリタは紀元304年に亡くなったとされている。

サンタ・マルガリータ号 は1622年にキーウェスト島から約64 kmのフロリダキーズ周辺で ハリケーンにより沈没したスペインの船。
サンタ・マルガリータの武勇伝は、1622年に始まった。船名はホームレス、助産師及び改心した売春婦の守護聖人に因んで付けられた(聖マルガリタ )。
600トンのスペインのガレオン船で、25門の大砲で武装していた。
28隻からなる艦隊の一隻として、新大陸から略奪した財宝を積み、スペインへ航海した。
記録では、166,574枚の銀貨、約10,000ポンド、550個以上の銀の延べ棒、延べ棒形等の9,000オンスを超える金を運んだ。
スペイン王に20%の税を支払うことを避けるため、未登録の財宝を隠し、密輸していた。
スペインや船の債権者は心配そうに艦隊の到着を待っていた。財宝により、王室の財源を補充し、ローンを返済し、王国を苦しめる財政難を軽減するためである。
しかし、そこに悪い知らせが到着した。キューバの島を離れ、艦隊は急速に発展した嵐に巻き込まれた。
数日以内に、艦隊の他の5隻の船と共に、フロリダ海峡周辺で難破した。550人の乗客と乗組員が溺死、内142名が同号の犠牲者である。
世界の覇権を握り、インド諸島の富によって栄えつつも、深刻な後退状況にあるスペインにとって、この損失は非常に大きな痛手となった。
1624年、ハバナの政治家フランシスコ・メリアンは、数年間に渡り、ガレオン船から財宝を引き揚げる、ある程度の成功を収め続けた。
しかし、最終的には、莫大な財宝は、フロリダ海峡の深い流砂に埋もれたままとなった。そして、忘れ去れていった。
しかし サンタ・マルガリータの一部が1980年に発見された。20年以上の作業の中で 主力捜索船ブルー・ウォーター・ローズによって引き揚げられたサンタ・マルガリータの財宝の価値は1600万ドルを超える。
現在、さらに北を捜索し、捜索船の乗組員は、精巧な金工芸品、鎖、宝石、金の延べ棒、珍しい銀貨、 金および水晶宗教的遺物、魅惑的な純金の爪楊枝、耳かきスプーン、壮大な純金聖杯、さらに積み荷のリストには記載されていない16個の鉛箱、マルガリータ島産と思われる希少で貴重な天然真珠184個を発見した。
発見物は現在キーウェストのメル・フィッシャー海洋博物館で展示されている。

アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。

リチャードジノリ代表高級認知品
ドッチア窯の 金ロゴ(ジノリの 誇りの金印)

手描き金彩 染付(手描き)
磁器最後の姿は14世紀 景徳鎮で完成。素磁に手描きし 釉薬をかけた後に1400゜Cで焼き付けます。この高温に耐えうる 酸化コバルト(呉須)の ヨーロッパにおける調合は ベドガーの見果てぬ夢のまま亡くなる1719年にマイセンで完了。

本金は 古色が付きます。
風格がある 古色は捨て難いのですが 軽く磨けば 元の金ピカになります。

お店で サンタマルガリータを 見たお客さんが 言われます。
美しいですね。

私は お答えします。
コレは 菊やバラのブーケを染付に 手描き金彩を あしらった磁器究極の 美術工芸品です。
貴族趣味の王侯や姫妃たちに 愛用され 二百数十年生き続けた 本格的美術品です。
コレを 美しいといわれる 貴方のお眼眼は 時空を超えて 王侯や 姫妃のお眼眼と 一体です。

貴方の眼に キラリと光る 未だ知らぬ一品
いわれを聞けば 納得の逸品
古の栄華の人との 美の追求と共有
喜びは やがて秘かな誇りへと 
歴史は 今貴方と駆ける。 

類稀な 美貌と知性の女性は 鄙に生まれながら 自らの運命に従い 皇帝の妃に。
生まれながら 王家の姫は 運命られし縁に 時の王妃へと。

イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。
兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。
フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。
(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。
ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。
流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでも カオリンに恵まれず 4年で追放されました。
皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)
フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。

次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。
侯は ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。
当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年ごろからリモージュのカオリンを 用いることで完璧な白磁を完成させております。

1771年 ナポリ窯が創設される。
ハプスブルク王家や ナポレオン治世下を経た 両シチリア王国 フェルディナンド3世治世下の(ナポリ窯)カポデモンテを 1834年 ジノリが買収。
モールドを継承した正式な継承ですから 復刻にナポリ王冠窯印Ginoriを施したものは正当です。

ただここからが問題ですがジノリは ナポリを訪れる観光客への街道沿いのお土産屋からの依頼で モニュメント的なベースや キャンドルスタンドなどのモールドを作り ナポリ王冠窯印Ginoriを 施した贋作を作ります。
お土産業者は 仕入れ価格の6倍でも売れるのに味を占め よりアンティックに見せる為 Ginoriの施印まで外させたほどです。
只ジノリも面白くないのか ナポリ王冠等とても雑で 一目でお土産品ですよと判ります。
日本の清水で売られる 中国製の清水焼に 「清水」としか書かれてない手合と同じです。

1869年には リチャード社を 合併して 今の リチャードジノリ社になりました。(真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して 新しい 芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。

【即納】 リチャードジノリ ティーC/S 【サンタマルガリータ】-カップ&ソーサー

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